吉永小百合のキャリアを語る上で欠かせないのが、1960年代の日活時代の出演映画の数々です。1959年に映画デビューを果たした彼女は、わずか10年間のうちに70本以上もの劇場用作品に出演。ほぼ2ヶ月に1本のペースで主演作を撮り続けるという、現代では考えられない過密日程を駆け抜けました。
その名を決定づけたのが、1962年公開の映画『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)です。鋳物の街・埼玉県川口市を舞台に、貧しい家庭環境のなかで逞しく生きる主人公・ジュンを熱演した吉永小百合は、ブルーリボン賞主演女優賞を史上最年少(当時17歳)で受賞。単なる「お人形のような美少女」ではなく、泥臭い労働者階級の現実を力強く生きるリアルな少女像を提示し、日本中の観客の涙を誘いました。
翌1963年には川端康成の名作を映画化した『伊豆の踊子』に主演。原作者の川端自身が撮影現場を訪れ、「これほど踊子のイメージに重なる女優はいない」と絶賛したエピソードは今なお語り草です。この爆発的な人気から誕生したのが、日本初の本格的ファン文化とも言われるサユリストの熱狂でした。作家の野坂昭如やタレントのタモリをはじめ、文化人から一般の大学生、団塊の世代の労働者に至るまで、彼女を熱狂的に信奉する男性たちが日本社会を席巻したのです。