ふたりが入籍を果たしたのは2012年3月のことでした。しかし、この事実が世間に公表されたのは、入籍から約4年が経過した2016年1月のスポーツ紙報道がきっかけでした。このタイムラグにより、一部の週刊誌やネット掲示板では「三山ひろしに隠し子がいたのではないか」「スキャンダルを隠蔽していたのか」といった事実無根の噂が飛び交う事態となったのです。
しかし、公表が遅れた背景には、師匠・中村典正と交わした極めて厳格な「男の約束」がありました。結婚当時、三山ひろしはまだヒット曲に恵まれておらず、演歌歌手として一本立ちできたとは言えない状況にありました。偉大な作曲家であり師匠である中村典正は、次女との結婚を認める条件として、次の誓いを課したのです。
「結婚したからといって、師匠や親の名前を傘に着てはならない。『松前ひろ子の娘婿』『中村典正の娘婿』という七光りで売れたと言われては、歌手としての命取りになる。自力でヒットを出し、紅白歌合戦の舞台に立つまでは、結婚の事実は公にするな」
三山ひろしはこの教えを愚直に守り抜きました。2015年、シングル『お岩木山』が15万枚を超える大ヒットを記録し、念願だったNHK紅白歌合戦への初出場を果たした直後の2016年1月、ようやく満を持して婚姻関係を正式発表したのです。隠し子などではなく、家族と芸道を守るために選んだ「沈黙の4年間」が、結果として世間の誤解を招く形となってしまったのが騒動の本質でした。