Q1:新選組において「総長」と「副長」はどちらが組織的に偉かったのですか?
A1:形式上の序列としては「局長>総長>副長」であり、総長である山南敬助はナンバー2の地位にありました。しかし、実質的な軍事指揮権や隊規違反の取り締まり権限を握っていたのは副長の土方歳三であり、実権の面では副長の方が圧倒的な権力を行使していました。
Q2:山南敬助はなぜ沖田総司に捕まった際、本気で抵抗して逃げなかったのですか?
A2:山南の脱走は自己保身のための逃避行ではなく、西本願寺移転や組織の暴力化に対する「命を賭した諫言(抗議)」だったからです。追手として現れたのが弟のように目をかけていた沖田であったこともあり、山南は運命を受け入れ、武士としての筋を通すために素直に屯所へ戻りました。
Q3:京都の光縁寺にある山南敬助の墓は一般の人でも参拝できますか?
A3:拝観可能です。京都市下京区にある光縁寺には、山南敬助のほかにも切腹・戦死した多くの新選組隊士の墓所があります。ただし、寺院は現在も信仰の場であるため、参拝時間やマナーを守り、静かに手を合わせることが求められます。