報道各社や歴史研究機関が収集したルソン島の戦い 生存者の証言は、教科書に載らない戦場の実態を容赦なく物語っています。
NHKが放送したドキュメンタリー番組『祖父が見た戦場 〜ルソン島の戦い 20万人の最期〜』では、衛生部隊「病院船衛生第15班」の軌跡を通じ、医薬品も食料も尽きた野戦病院の地獄絵図が浮き彫りにされました。麻酔なしの手術、傷口に湧くウジ虫、そして治療の手立てすら失われた負傷兵が、ただ死を待つだけの状態に置かれたのです。
さらに深刻だったのは、兵士同士の信頼関係の崩壊でした。複数のルソン島の戦い 手記と記録まとめによると、飢餓が進むにつれて将兵たちは米軍の砲火や現地の抗日ゲリラだけでなく、「友軍兵士」に対しても激しい猜疑心を抱くようになりました。
「夜、寝ている間に仲間に殺されて食べられるのではないかという恐怖で、誰も熟睡できなかった。単独で森へ入った兵士が二度と戻らず、後から骨だけが見つかる事件が相次いだ」
(戦後に残された元将兵の手記より要約抜粋)
現地フィリピンの先住民族や抗日武装組織との戦闘のみならず、飢えた日本兵が生き延びるために仲間を襲うという、理性の完全に吹き飛んだ限界状況が生起していました。もはや軍隊組織としての体を成しておらず、個々の人間がただ命を長らえようとあがく生存闘争へと堕ちていたのです。