かつて国会を揺るがした大政党がなぜここまで縮小したのか。当時の特番インタビューや自著・手記、関係者の証言を丹念に追うと、内部で起きていた深刻な組織疲弊の生々しい実態が見えてきます。
ある元社会党中堅議員は、回顧録の中で次のような言葉を残しています。
「村山内閣が誕生した瞬間、永田町は沸き返った。しかし地方組織の集会に行くと、組合員から『自衛隊を合憲と認めるなら、私たちが今までビラを配り、デモ行進してきた40年間は何だったのか』と涙ながらに詰め寄られた。あの瞬間、党の背骨が音を立てて折れたのだと感じた」
また、辻元清美氏も離党時の手記や記者会見において、「護憲という看板を掲げ続けること自体は尊いが、永田町で法律を変え、国民の命を守る具体的な制度を作るためには、万年野党の安全地帯から出て政権を奪うプラットフォームに身を置かなければならない」という葛藤を吐露していました。
SNSやネット掲示板、有権者の間でも評価は真っ向から二分されています。長年の支持層からは「唯一ブレずに平和憲法と弱者の権利を守り続けている」「どんなに議席が減っても福島みずほ氏の国会質問は必要だ」という熱烈な擁護論が根強く存在します。その一方で、現実主義的な有権者からは「安全保障環境が激変する中で現実的な対案を出せず、昭和の反対運動から脱却できなかった」「自社さ連立で看板を捨てたのに、野党に戻った途端に過去の主張へ逆戻りした欺瞞が支持離れを招いた」という厳しい指摘が突きつけられています。