近年、高齢化の進展や終末期医療の議論に伴い、検索エンジンやSNSで「CPR」とセットで検索されることが急増した医療用語があります。それが「DNAR(Do Not Attempt Resuscitation:心肺蘇生を試みない指示)」です。
しかし、ネット上の議論や一部の報道では、このDNARに関する致命的な誤解や歪曲された解釈が散見されます。最も危険な誤謬は、「DNAR=一切の医療処置を放棄して見殺しにすること」という極端な思い込みです。
医療現場におけるDNARの正確な定義は、「心原性ショックや呼吸停止といった心肺停止状態に陥った際、胸骨圧迫、電気ショック、気管挿管、強心薬投与などの『蘇生処置』を実施しない」という事前の合意に過ぎません。心停止に至る直前までの酸素投与、抗生剤の点滴、苦痛を緩和する麻薬性鎮痛薬の投与、栄養管理といった標準的な治療や緩和ケアは、DNARの合意があっても寸分違わず全力で継続されます。
では、家庭内や介護施設で要介護高齢者が突然倒れた場合、バイスタンダーや家族はどのように判断すべきでしょうか。ここには明確な法的・倫理的境界線が存在します。
病院外の現場で家族や施設スタッフが「本人はDNARの意向を示していたから」と自己判断して119番通報を控えたり、到着した救急隊に対して「何もしないでくれ」と口頭で要求しても、客観的な書面や主治医の確認がない限り、救急隊は法的にCPRを中断できません。日本の救急搬送システムにおいて、救急隊員が蘇生を中止できるのは、明らかに死後硬直や死斑、死体損壊が認められる「明白な死亡」の場合のみに限定されているからです。
家族が本人の尊厳ある最期を望むのであれば、単なる口約束ではなく、主治医やかかりつけ医を交えたアドバンス・ケア・プランニング(ACP:人生会議)のプロセスを事前に経て、正式な意思表示文書を整備しておく必要があります。急変時の救急要請の手順や、主治医へ直接連絡すべきケースについて事前のコンセンサスがなければ、現場の医療者や救急隊は職業的・法的義務として全力を挙げたCPRを実施せざるを得ません。