斎藤工のパリコレ挑戦とモデル時代の真相!泥臭い下積みの全貌

斎藤工のパリコレ挑戦とモデル時代の真相!泥臭い下積みの全貌

斎藤工のパリコレ挑戦とモデル時代の真相!泥臭い下積みの全貌の要点を丁寧に掘り下げてご紹介します。

メディアで「元パリコレモデル」という経歴が紹介される際、多くの人が思い浮かべるのは大手芸能事務所による手厚いバックアップと華やかなランウェイかもしれません。しかし、斎藤工のモデル時代の実態は、それらとは完全に一線を画す「無謀とも言える単身ゲリラ挑戦」でした。

斎藤工が本格的にモデル活動を開始したのは高校在学中の15〜16歳頃のことです。当時は「TAKUMI」名義で『MEN'S NON-NO』や『POPEYE』などの人気男性ファッション誌に登場し、同世代の読者から熱狂的な支持を集めていました。しかし、日本国内での人気に甘んじることなく、高校卒業と同時に彼が選んだ道は、海外への放浪の旅と本場パリへの挑戦でした。

18歳から19歳を迎える2000年前後、彼はいわゆるバックパッカースタイルでヨーロッパへ渡航します。現地のモデルエージェンシーに所属していたわけでもなく、コネクションも一切ない状態から、自らの写真や掲載誌を切り貼りしたポートフォリオ(ブック)を片手に、パリ市内のキャスティングオフィスを一軒一軒飛び込みで訪ね歩きました。

過酷な選考を勝ち抜き、実際に彼がランウェイを歩いた代表的ブランドが、世界的デザイナー山本耀司氏が手掛ける「Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)」です。当時、アジア人男性モデルに対する門戸は極めて狭く、欧米のトップモデルたちがひしめく中で、自らの存在感と鋭い眼光だけでそのシートを勝ち取った事実は、業界内でも異例の快挙として語り継がれています。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。