司馬遷が編纂した中国の正史『史記』の「秦始皇本紀」を紐解くと、昌文君に関する記述は極めて限られています。その中に、読者をざわめかせる決定的な一行が存在します。
始皇9年(紀元前238年)、嫪毐(ろうあい)が反乱を起こした際、昌文君は昌平君と共に兵を率いて咸陽で反乱軍を鎮圧し、功績を挙げて爵位を賜りました。しかし、その直後の記録として「九年、彗星見ゆ……昌文君卒」という短い一文が刻まれているのです。史実の文字通りに解釈すれば、加冠の儀をめぐる反乱が鎮圧された紀元前238年前後に昌文君はこの世を去ったことになります。
ところが漫画『キングダム』では、反乱鎮圧後も昌文君は生き残り、秦国の中枢として国政を牽引し続けています。史書における「昌文君卒」の解釈には諸説あり、楚の王族出身とされる昌文君と昌平君の出自の複雑さや、別人物との混同を指摘する歴史研究者も少なくありません。原泰久氏はドラマ性を重視し、嬴政の中華統一を見届ける生き証人として、あえて昌文君を生存させる大胆な歴史翻案を選択したと考えられます。