伏龍部隊の要員として集められたのは、百戦錬磨のベテラン兵士ではありませんでした。搭乗する飛行機を失った海軍飛行予科練習生(予科練)や、わずか15歳から18歳前後の海軍少年志願兵たちでした。神奈川県の横須賀に位置する海軍工作学校の伏龍部隊や野比海岸、久里浜の訓練施設などに、約3,000人から4,000人もの若者が集められました。
しかし、そこで待ち受けていたのは過酷極まりない環境と、伏龍特攻の訓練中の事故の連続でした。伏龍の潜水器は実験室レベルの代物であり、大量生産された器具の工作精度は著しく低かったのです。
記録に残る伏龍の殉職者の死因で最も恐れられたのが、強アルカリ水溶液の吸入事故でした。循環潜水器の呼気缶には高濃度の苛性ソーダが固形剤として詰められていましたが、ゴム管の接続不良やマウスピースのズレ、あるいは潜水具の破損によって海水が缶内に浸入すると、猛烈な化学反応熱を発しながら海水が強アルカリ性の熱湯へと変化します。
この沸騰した強アルカリ液が、逆止弁を突破して隊員の口腔や気管、肺胞へと一気に逆流しました。肺と気道の内壁を焼き尽くされ、隊員は水中で激痛に狂乱しながら喀血し、意識を失って溺死していきました。さらに、炭酸ガスの吸着が追いつかずに発生する炭酸ガス中毒や、ボンベの調整ミスによる急性酸素欠乏症、急浮上による潜水病も頻発しました。
公式の記録だけでも数十名、関係者の非公式な証言を総合すると100名近くの隊員が、敵を見ることもなく訓練プールや沿岸の浅瀬で命を奪われたとされています。救命設備も満足にない中、引き揚げられた遺体は口から赤褐色の泡を吹き、肺が焼けただれていたと伝えられています。