保阪尚希氏と高岡早紀さんの離婚経緯を正しく理解するには、2004年6月に写真週刊誌が報じた白昼堂々のスクープを振り返る必要があります。当時、今井美樹さんと婚姻関係にあった布袋寅泰氏と高岡早紀さんの「白昼堂々の抱擁・濃厚キス写真」が掲載され、芸能界のみならず社会現象となる大騒動へと発展しました。
この事態を受け、保阪氏は報道直後に単独で緊急記者会見をセッティングしました。その会見場で見せた態度は、従来の「取り乱す被害者の夫」という定型を根底から覆すものでした。怒りを露わにして取り乱すどころか、沈着冷静なトーンで状況を淡々と説明し、次のように語ったのです。
「男として、相手(布袋氏)に対して許せない感情がないと言えば嘘になる。しかし、妻をその精神状態にまで追い込み、守りきれなかった僕自身の責任も痛感している。相手の男性には、大人の男として逃げずにきちんと責任ある説明をしてほしい」
この会見において保阪氏は、「実はすでに数か月前に協議離婚が成立しており、離婚届も提出済みだった」という衝撃的な事実を明かしました。子どもたちに動揺を与えないため、あえて同一の邸宅内で生活を共にし、徐々に環境を整えていく「ペーパー離婚」という選択を取っていた最中のスキャンダルだったのです。
夫婦関係が破綻した真の理由は、決してDVや暴力などではなく、日々の生活における価値観の決定的なズレでした。契機となったのは、2000年に保阪氏を襲った生死を分かつ重病です。保阪氏は急性腹膜炎を患い、内臓破裂による敗血症で一時は生存率が極めて低い危険な状態に陥りました。懸命な治療で奇跡的に生還したものの、死の淵をさまよった経験を通じて保阪氏の死生観と健康観、人生における優先順位は激変しました。
一方で、高岡早紀さんの実母を含めたマスオさん状態の同居生活や、夜型の華やかな芸能界の人間関係を重視する高岡家との間には、生活リズムや金銭感覚、子育てを巡る決定的な亀裂が生まれ始めていました。ストイックに生き抜こうとする保阪氏と、奔放な感性を保ち続けたい高岡さんとの精神的な距離が、修復不可能なレベルまで広がっていたのが実態でした。