約36年間にわたり熱戦が繰り広げられた芸術競技は、なぜ1948年ロンドン大会を最後に廃止へと追い込まれたのでしょうか。歴史資料や当時の国際オリンピック委員会(IOC)議事録を精査すると、そこには当時の五輪を支配していた絶対的ドグマとの構造的摩擦が存在していました。
最大の要因は、IOCが当時極めて厳格に適用していた「アマチュア規定」との致命的な矛盾です。当時のスポーツ選手はプロ活動や金銭授受が厳しく禁じられていましたが、芸術の世界において自作を売却して生計を立てる画家や建築家、音楽家は「プロの商業活動者」とみなされました。展示された作品に価格がつけられ購入希望者に売却される実態に対し、IOC内部のアマチュア原理主義者(後の第5代会長アベリー・ブランデージ氏ら)から激しい反発が噴出したのです。
さらに、スポーツのようなストップウォッチや得点板による客観的判定が不可能であり、「審査員の主観や国威発揚の政治的意図に左右されやすい」という審査基準の不透明さも致命傷となりました。1949年のIOCローマ総会での激論の末、芸術競技は公式メダル種目から除外され、非競争形式の「展示・祝祭プログラム」へと姿を変えることになりました。