1859年、長い鎖国が解かれ、港が開かれた。そこへ押し寄せたのは欧米の商人たちである。彼らの最大の狙いは生糸だった。当時、ヨーロッパでは微粒子病と呼ばれる蚕の病気が大流行し、絹産業が壊滅的な打撃を受けていたからだ。
日本産の高品質な生糸は、まさに砂漠のオアシスだった。横浜港には莫大な外貨が流れ込み、全国の生産地から生糸や蚕種が怒涛の勢いで集結した。かつてない規模の生糸貿易バブルの幕開けである。
しかし、好景気は国民全員を潤したわけではない。国内で消費されるはずだった物資が次々と輸出に回り、瞬く間に深刻な品不足が発生した。需要と供給のバランスは音を立てて崩壊。米や油をはじめとする日用品の価格が数倍に跳ね上がり、江戸の町民や下級武士の生活を直撃した。日々の食事すらままならない。民衆の怒りと不満は、臨界点へと達しつつあった。