世田谷区上北沢の広大な緑地に佇む東京都立松沢病院の起源は、1872年(明治5年)に設立された「東京府癲狂院」にまで遡ります。上野、本郷、巣鴨と移転を重ね、1919年(大正8年)に現在の地に移転して「松沢病院」と改称されました。精神医学の泰斗である呉秀三(くれ・しゅうぞう)教授が残した「我が邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかに、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という言葉は、日本の精神医療改革の原点として語り継がれています。
昭和の時代、精神科病院全般に対して社会的な偏見が強かった背景から、「一度入院したら二度と出られない」「鉄格子に囲まれた隔離施設」といった不気味な噂が実しやかに囁かれました。作家の手記やサスペンス作品の舞台として誇張されて描かれたことも、ネガティブなパブリックイメージを増幅させた一因です。
しかし、取材と公式記録が示す事実は大きく異なります。2012年に完了した大規模な建て替えプロジェクトにより、老朽化した旧病棟は完全に一新されました。現在の施設概要は、自然光が差し込む明るいガラス張りの本館や開放病棟を中心に設計されており、暗い収容施設という面影は皆無です。退院支援プログラムや地域移行支援が積極的に推進され、平均在院日数の短縮と患者の権利擁護を重視した近代医療が行われています。