長野大学の歩みを語る上で欠かせないのが、2017年(平成29年)に行われた「公立大学法人化」という大転換です。同校は1966年に「本州大学」として上田市に開学し、1974年に現在の名称となりました。しかし、少子化の波や首都圏への若者流出に伴い、私立時代後期には志願者の減少と深刻な定員割れに直面。大学存続そのものが危ぶまれる時期を経験しています。
長野大学の公立化の理由と真相を探ると、そこには大学側だけでなく「上田市」という地域自治体の強い危機感がありました。上田市および周辺地域において、唯一の総合的な高等教育機関が失われれば、若年層の人口流出が決定打となり、地域経済や医療福祉の現場が崩壊しかねないという切迫した課題意識があったのです。
関係者や報道各社の当時の取材記録によると、上田市議会での激しい議論を経て、「地域貢献型公立大学」として大学を再生させる道が選択されました。公立化によって学費が国公立水準へと引き下げられた結果、志願者数は私立時代の数倍へと跳ね上がり、奇跡的なV字回復を遂げました。なお、日本国内で都道府県名がそのまま冠された公立大学は、宮城県の「宮城大学」と本学「長野大学」のわずか2校しか存在せず、そのネーミングの重みも受験生の認知度向上に寄与したと言えます。