東京の歓楽街史を紐解くと、「角海老」の屋号は江戸吉原の老舗遊郭に端を発し、戦後の高度経済成長期に実業家・鈴木清明氏率いる角海老グループ(角海老宝石)として多角化を遂げました。吉原の特殊浴場事業にとどまらず、池袋や歌舞伎町、そして渋谷へと進出し、ボクシングジム経営や宝石販売、サウナ、飲食業など広範な事業網を築き上げました。
渋谷における拠点は、大人の歓楽街としての性格が色濃かった道玄坂・円山町エリアに集中していました。昭和40年代から平成初期にかけて、百軒店や円山町の路地裏には角海老系列のサウナや風俗店、マッサージ店などが点在し、ネオン看板が夜の渋谷を照らしていました。当時の渋谷は、東急主導の若者文化(SHIBUYA 109など)と、円山町特有の花街・大人のアングラ文化が極めて近い距離で混ざり合う特異な街並みを形成していたのです。