「高音曲なら他にもあるのに、なぜPretenderはこれほどまでに歌えないのか?」――この疑問に対する答えは、音声解剖学と楽曲構造の組み合わせに隠されています。一般男性がカラオケで直面する壁は、単なる「音の高さ」ではなく、発声器官にかかる物理的ストレスに起因しています。
第一の理由は、男性の喚声点(パッセージ・チェストからヘッドへの移行ポイント)の直上を長時間往復し続けるメロディラインです。人間の声帯構造上、一般的な男性はmid2E(E4)からmid2G(G4)の間で地声の筋肉(甲状披裂筋=TA筋)だけでは支えきれなくなり、裏声の筋肉(輪状甲状筋=CT筋)を主導とした発声に切り替える必要があります。しかし『Pretender』のサビは、mid2F#からhiA#という、まさに喚声点の最も不安定なゾーンに音符が密集しています。息を吸う隙間も少なく、声帯を薄く引き伸ばした緊張状態を数小節にわたって維持し続けなければなりません。
第二の罠は、最高音「hiA#」が割り当てられている歌詞の母音です。サビの最大の聴かせどころである「グッバイ」の「バ」は、開口度の高い母音「ア(/a/)」です。母音「ア」は咽頭腔が狭まりやすく、喉頭(のどぼとけ)が吊り上がりやすい特性を持っています。高音発声において喉頭が上がると、声帯が過剰に締め付けられ、いわゆる「喉締め(ハイラリンクス)」を引き起こします。その結果、叫び声のような無理な張り上げ発声となり、サビの2行目を歌い終わる頃には声帯が疲弊して声がひっくり返ってしまうのです。
さらに、Official髭男dismのボーカル・藤原聡氏特有の並外れた歌唱力とリズム構築がハードルを一段と引き上げています。藤原氏はクラシックピアノの素養に加え、元ドラマーとしての卓越したグルーヴ感を併せ持っています。16ビートの細かなシンコペーションに乗せて、跳躍する高音を正確なピッチで当てはめる技術は、生半可なボイストレーニングでは到底再現できません。これらが複雑に絡み合うことで、「音程は頭で分かっているのに、喉が物理的についていかない」という事態が発生するのです。