山内溥氏の経営者としての真骨頂は、自身がゲームを一切プレイしないにもかかわらず、「クリエイターの才能」と「娯楽の本質」を完璧に見抜く鑑識眼にありました。
世界的なゲームクリエイターである宮本茂氏との関係はその象徴です。1977年、父親のツテで面接に来た無名の美大生だった宮本氏が持ち込んだ「木製ハンガー」の造形に面白さを見出し、即座に入社を許可。後に『ドンキーコング』や『スーパーマリオブラザーズ』、『ゼルダの伝説』を生み出す天才の自由な発想を信じ、口出しをせず環境を整え続けました。
さらに世間を驚かせたのが、2002年の岩田聡氏への社長交代劇です。山内家による半世紀以上の同族経営を自ら終わらせ、当時まだ42歳だったHAL研究所出身の岩田氏を後継に指名しました。
山内氏は岩田氏に対し、「任天堂の社長が務まるのは、開発の現場がわかり、なおかつ経営の数字がわかる人間だけだ」と全権を委ねました。山内氏の直感と大抜擢が、のちの「ニンテンドーDS」や「Wii」による任天堂の爆発的な黄金期を生む原動力となったのです。