新島襄の波乱の生涯|命がけの密航真相と八重との絆・死因を解剖

新島襄の波乱の生涯|命がけの密航真相と八重との絆・死因を解剖

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新島襄の人生を語る上で欠かせないのが、妻・新島八重(旧姓:山本)の存在です。八重は会津藩の砲術師範の家に生まれ、戊辰戦争(会津籠城戦)ではスペンサー銃を手に男装して奮戦した「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれる苛烈な女性でした。

京都府顧問を務めていた八重の兄・山本覚馬の紹介で出会った2人は、1876年1月3日に京都で最初のプロテスタントキリスト教結婚式を挙げます。しかし、当時の京都社会は男尊女卑の気風が極めて強い時代でした。八重が洋装を着こなし、夫より先に人力車に乗り、対等に議論を交わす姿は、周囲の保守層から激しい反発を受けました。世間は彼女を、頭は猿、胴は狸、手足は虎という妖怪になぞらえて「鵺(ぬえ)」、あるいは「希代の悪妻」と罵ったのです。

同志社の学生たちからも反発の声が上がりましたが、襄の八重に対する信頼と愛情は微動だにしませんでした。襄はアメリカの友人への手紙の中で、八重について次のように書き綴っています。

「彼女は決して世間一般の美人物ではありません。しかし、生き方が誠に勇敢でハイカラであり、私にはぴったりなのです」

襄は八重をひとりの独立した人間として尊重し、家庭内でも徹底したレディーファーストを貫きました。この先進的なパートナーシップは、2013年放送のNHK大河ドラマ『八重の桜』でも丁寧に描かれました。主演の綾瀬はるかさんが演じる芯の強い八重と、オダギリジョーさんが演じる包容力豊かな新島襄の夫婦像は、2020年代の現代においても「理想のパートナーシップ」としてSNS等で語り継がれています。

なお、ネット上では「新島襄の子孫や家系図はどうなっているのか」という検索需要が絶えません。史実として、新島襄と八重の間に実子は生まれませんでした。襄の死後、親族の徳栄を養子に迎えましたが、後に離縁するなど複雑な経緯を辿っています。そのため、襄の直接の血を引く直系子孫は存在せず、新島家の系譜は親族筋によって継承されています。

松本 悠斗
著者

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。