『とと姉ちゃん』のヒロイン・小橋常子のモデルは、雑誌『暮しの手帖』を創刊した実在の実業家・大橋鎭子(おおはし しずこ)氏です。では、坂口健太郎が演じた星野武蔵には実在のモデルが存在したのでしょうか。公式の番組制作資料および大橋鎭子氏の自伝『「暮しの手帖」とわたし』などを突き合わせると、星野武蔵は「特定の1人を完全再現した実在人物ではなく、史実の断片を組み上げたドラマオリジナルキャラクター」であることが明確になります。
大橋鎭子氏の自伝や関係者の証言によると、大橋氏は青春時代に親交のあった知人男性や、創刊初期に周囲を支えた知識人たちとの交流を持っていたものの、生涯を独身で通し、編集長である花森安治(劇中における花山伊佐次=唐沢寿明)と共に雑誌作りに生涯を捧げました。大橋氏自身が残したエッセイや回想録には、星野武蔵のように「子供を持つ学者と再会し、結婚を意識しながらも編集の道を選んだ」という完全一致のエピソードは記録されていません。
脚本を手掛けた西田征史氏をはじめとする制作陣は、自立した女性が出版界の頂点を目指す過程で直面する「家庭を持つことへの憧れと葛藤」を立体化させるため、星野武蔵という触媒を配置しました。植物学者という設定は、当時の自然を愛する学徒の清廉さを象徴しており、戦前と戦後で日本の生活様式や価値観が激変した現実を、一人の青年の身の上に起きた境遇の変化(妻の死と子育て)を通じてリアルに浮き彫りにする意図が込められていたといえます。