伊勢神宮(内宮・外宮)を訪れた旅人が、なぜ険しい山頂にある金剛證寺へと足を延ばしたのか。その根底には、古代日本の陰陽道と中世以降に花開いた神仏習合(しんぶつしゅうごう)の思想が深く関わっています。
地理的に見ると、朝熊山は伊勢神宮の内宮から見て北東、すなわち「丑寅(うしとら)の鬼門」の方角に位置します。平安時代初頭、弘法大師空海がこの地で修行を行い、堂宇を建立して密教の修練道場としたことで、神宮の鬼門を守護する霊場としての性格が確立されました。神聖な神域に邪気が入り込むのを防ぐ結界としての役割を担ったことが、ここが「神宮の奥の院」と尊称される決定的な契機です。
さらに江戸時代、庶民の間で爆発的な流行を見せた「お蔭参り(おかげまいり)」において、伊勢音頭に「朝熊かけねば片参り」と唄われたことで、神宮参拝の仕上げとして朝熊岳へ登詣することが不可欠な通過儀礼となりました。神(天照大御神)に日頃の感謝と国家安泰を祈り、仏(虚空蔵菩薩)に現世利益と知恵、そして死後の極楽往生を願う。この「神仏一対の信仰構造」こそが、数百年を経た今も人々を惹きつけてやまない本質的な理由です。