丙午で出生率は再び激減するのか?1966年の真相と2026年動向

丙午で出生率は再び激減するのか?1966年の真相と2026年動向

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これほどまでに社会を狂わせた「丙午の呪縛」とは、一体どこから生まれたものだったのか。その背景には、中国古来の暦学と、江戸時代の大衆文化が複雑に絡み合った歴史が存在する。

干支は「十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)」と「十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)」の組み合わせで60年周期で一巡する。このうち「丙(ひのえ)」は陰陽五行説において「火の兄(陽の火)」に配され、「午(うま)」もまた十二支の中で「火(陽の火)」、方位としては真南、季節は真夏を象徴する。すなわち丙午は、「激しい陽の火」が二重に重なり合う極めて熾烈な気性を持つ年と解釈された。

江戸時代初期の記録では、単に「丙午の年は火災が多い」という火難の迷信にとどまっていた。それが女性への理不尽な偏見へと変貌を遂げた決定打が、天和2年(1682年)に起きた天和の大火と、その直後に起きた恋煩いによる放火未遂事件、いわゆる八百屋お七の丙午由来である。

寺の小姓に逢いたい一心で放火を図り、火刑に処された八百屋お七。彼女が寛文6年(1666年)の丙午生まれであったという説が井原西鶴の浮世草子『好色五人女』や後の浄瑠璃・歌舞伎で脚色され、民衆の間でセンセーショナルに拡散された。「丙午生まれの女性は情熱が強すぎて身を滅ぼす」「男を食い殺す」「夫の寿命を縮める」といった強烈なスティグマ(社会的烙印)が、家父長制のイエ意識と結びつき、「嫁の貰い手がなくなる」という強固な差別構造を作り上げたのである。

明治39年(1906年)の丙午でも出生率は前年比約4%低下していたが、昭和41年ほどの大暴落には至らなかった。皮肉なことに、医学と避妊法が発達し、自ら出生をコントロールできるようになった昭和40年代のほうが、旧弊な迷信の影響をより直接的かつ物理的な形で人口統計に刻み込む結果となったのである。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。