皇室に関する批判的な論考やパロディを一切許さない社会的空気、いわゆる「菊タブー」の歴史は、決して自然発生したものではありません。その最大の転換点となったのが、1960年に起きた嶋中事件(風流夢譚事件)です。雑誌『中央公論』に掲載された深沢七郎氏の小説をめぐり、右翼少年が中央公論社社長宅を襲撃し、家政婦が殺害され社長夫人が重傷を負う凶行が発生しました。この血の惨劇は、出版界および新聞・放送メディアに「皇室を揶揄・批判すれば物理的テロに晒される」という決定的な恐怖を植え付けることになりました。
さらに、戦後の皇室報道規制の理由は、暴力の脅威だけにとどまりません。大手メディアを縛り上げているもうひとつの強固な足かせが、「宮内記者会」に存在する独自の掟と取材協定です。宮内庁に常駐する大手新聞・テレビの記者たちは、公務の事前情報や皇族方の肉声を得るため、宮内庁側と厳密な取り決めを交わしています。万が一、協定を破って特落ちを恐れずに独自スクープを放ったり、過度な批判記事を書いたりすれば、記者クラブからの追放や宮内庁からの「取材拒否」という致命的な制裁が下されます。
新聞社やキー局にとって、宮内庁からの出入り禁止措置は取材活動の息の根を止められるに等しい処罰です。その結果、ジャーナリズムが本来果たすべき監視機能は麻痺し、当局が発表したペーパーを無批判にトレースする「メディアの自粛」が慣習化しました。国民が抱く「なぜテレビは核心に触れないのか」という疑問の正体は、物理的恐怖の記憶と、アクセス権を人質に取られた構造的な取材システムにあるのです。