映画『崖の上のポニョ』の誕生秘話において、最も広く知られながら誤解も多いのが「宮崎駿監督の鞆の浦滞在」にまつわるディテールです。制作ドキュメンタリーや当時の関係者インタビューによると、発端は2004年11月にスタジオジブリの社員旅行でこの地を訪れたことでした。波穏やかな瀬戸内海と入り組んだ古い町並みに強いインスピレーションを受けた宮崎監督は、翌2005年4月から6月にかけての約2ヶ月間、鞆の浦の高台にある一軒の古い民家を借り切り、単身で逗留しました。
監督は毎朝、港へ続く坂道を下りては波打ち際や路地を歩き、地元住民と言葉を交わしながらスケッチブックを走らせていました。当時のNHK特番やメイキング映像『ポニョはこうして生まれた。』にも、崖の上のアトリエで瀬戸内の海を眺めながらイメージを膨らませる監督の生々しい姿が刻まれています。まさにこの滞在期間こそが、魚の女の子ポニョと5歳の少年・宗介の物語が産声をあげた決定的瞬間でした。
一方で、旅行ガイドやネット記事では「ジブリ公式は鞆の浦をモデル地と認めていないのではないか」という疑問がしばしば議論を呼びます。このジブリ公式見解の理由は、スタジオジブリが作品の舞台設定において一貫して保っている演出哲学に起因します。
スタジオジブリは公式発表資料や出版物において、実在の町をそのままなぞる「実写のロケーション撮影」のような扱いを極力避けています。宮崎監督が描く世界は、訪れた土地の風土や記憶を監督自身の心象風景のなかで一度解体し、再構築したイマジネーションの結晶だからです。したがって「鞆の浦=劇中の町の完全な複写」と公認することは避けているものの、宮崎監督自身がメディアの取材に対して「鞆の浦の崖の上で物語を考えた」と明言している事実から、制作の原点となった最重要拠点であることは疑いようがありません。