リットン調査団の真相と経緯を徹底解説!誤解が生んだ歴史の転換点

リットン調査団の真相と経緯を徹底解説!誤解が生んだ歴史の転換点

リットン調査団の真相と経緯を徹底解説!誤解が生んだ歴史の転換点を徹底追究! 知っておきたい トピックの裏側を凝縮して配信します。

リットン調査団に関する最新情報と詳細な解説をお届けします。1931年9月18日、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で発生した南満洲鉄道爆破事件を発端に、関東軍は電光石火の軍事行動を展開。中華民国側は武力衝突を拡大させず、直ちに国際連盟規約第11条に基づき連盟理事会へ提訴しました。ここで意外にも調査団の設置を提案したのは、国際連盟側ではなく日本政府自身(幣原喜重郎外相および芳沢謙吉駐仏大使)でした。国際世論の批判をかわし、現地の実情を欧米に理解させようという外交的計算が当初は働いていたのです。

1931年12月、国際連盟理事会は調査団の派遣を正式に決議。イギリスのヴィクター・ブルワー=リットン伯爵を団長とし、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアの計5カ国から選出された委員によって編成されました。公式発表資料や当時の外務省記録によると、調査団は1932年2月に東京に到着し、昭和天皇への謁見や犬養毅首相との会談を実施。その後、上海、南京、北京を経て満洲に入り、のべ約3カ月間・数千キロにおよぶ過酷な現地調査を敢行しました。

特筆すべきは、調査団が作成し1932年10月に公表された全10章におよぶ最終報告書の精密さです。報告書は柳条湖事件における関東軍の行動を「厳密な意味での自衛措置とは認められない」と断じ、日本の傀儡国家であった「満洲国」の不承認を明記しました。しかし同時に、当時の中国側の激しい排日運動や政情不安定を厳しく批判し、日露戦争以来の日本の満洲における合法的権益の存在を公式に承認していたのです。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。