陽気な歌モノだった同曲を、世界中を震撼させるジャズの記念碑へと昇華させた立役者が、“スウィングの王様(King of Swing)”と称されたクラリネット奏者のベニー・グッドマン(Benny Goodman)です。グッドマンは1937年にこの曲を取り上げ、作編曲家フレッチャー・ヘンダーソンらの手腕を借りて、歌詞を完全に排した長尺のインストゥルメンタルアレンジへと再構築しました。
そして迎えた1938年1月16日、ニューヨークのカーネギーホール歴史的名演が実現します。当時、ヨーロッパ伝統のクラシック音楽専用の殿堂とみなされていたカーネギーホールで、ジャズバンドが単独コンサートを行うこと自体が前代未聞のスキャンダルでした。さらにグッドマンは、人種隔離政策が色濃く残っていた時代において、白人と黒人のミュージシャンが同じステージに立つ混成編成を強行したのです。
コンサートのクライマックスとして演奏されたのが『シング・シング・シング』でした。この演奏でジャズ史のパラダイムシフトを引き起こしたのが、ドラマーのジーン・クルーパ(Gene Krupa)です。当時のドラムセットはバンドのテンポを維持する「黒子」に過ぎませんでしたが、クルーパは低音のフロアタムを全面に押し出し、強烈なアクセントとポリリズムを駆使したシング・シング・シングドラムソロを炸裂させました。
約12分間にも及んだこの演奏は、クラシックファンで埋め尽くされていた客席を総立ちにさせ、ジャズを「大衆酒場のダンス音楽」から「アメリカが世界に誇る芸術音楽」へと引き上げる決定打となりました。まさに歴史が動いた瞬間であり、今日私たちが耳にするアレンジの骨格はすべて、この1938年の夜に完成したのです。