1839年、江戸・新橋の商家に生まれた芳年は、12歳で奇想の浮世絵師・歌川国芳に入門した。師ゆずりの鋭い観察眼とダイナミックな武者絵の構図を貪欲に吸収した若き画工は、同門のライバルである落合芳幾とともに、やがて時代の狂気を吸い上げた問題作を世に放つ。それが慶応年間に刊行された連作『英名二十八衆句』だ。
歌舞伎の凄惨な殺戮場面を題材にしたこの連作は、鮮血が飛び散り肉が裂ける生々しい無残絵の極北として知られる。当時は戊辰戦争前夜、街には斬首された遺体が転がり、暗殺の刃が交錯していた。芳年は実際に上野戦争の戦場に足を運び、血の匂いと腐敗の現場を自らの眼に焼き付けたという。彼が描いたグロテスクは単なる悪趣味ではなく、崩壊していく徳川の世と、民衆が抱えた底知れぬ不安の冷徹なルポルタージュだった。