神田明神を巡る都市伝説の中で、最も人口に膾炙しているのが「神田明神と成田山新勝寺(千葉県成田市)を掛け持ちで参拝してはならない」という禁忌です。単なるオカルトではなく、この噂の根底には千年以上前の明確な歴史的対立が存在します。
天慶の乱(939〜940年)において平将門が朝廷に反旗を翻した際、朱雀天皇の密勅を受けた寛朝大僧正が、将門公の調伏(戦勝祈願・反乱鎮圧)のために京都の高雄山神護寺から不動明王像を東国へ運搬しました。そして下総国公津ヶ原において21日間の不動護摩の秘法を修法し、乱の終結とともに開山されたのが現在の成田山新勝寺です。
つまり成田山新勝寺は、歴史的経緯として「平将門を調伏・敗死に追い込むために祈祷した寺院」という出自を持っています。そのため、将門公の魂を御祭神として奉斎する神田明神の氏子や熱烈な信奉者にとって、成田山へ参詣することは「将門公を裏切る行為」「敵陣に与する振る舞い」とみなされてきました。江戸時代には「神田の町人が成田山に詣でると家運が傾く」「将門公の加護が完全に消滅する」と固く信じられていた記録が残されています。
神田明神の広報や神職関係者の見解では「現代において他の寺社へ参拝された方を拒むものではない」とされています。しかし、伝統を守る神田の老舗旦那衆や神輿の担ぎ手たちの間では、今なお成田山新勝寺への参拝やお札の所持を自発的に控える文化が厳然として息づいています。神社仏閣の歴史的文脈を敬う参拝者であれば、同日中のハシゴ参拝はもちろん、同一年度内の祈願の重複は避けるのが賢明な配慮といえます。