阿修羅像が造立された歴史的背景を探る上で欠かせない中心人物が、聖武天皇の皇后である光明皇后です。天平5年(733年)に亡くなった母・橘三千代の冥福を祈るため、皇后は興福寺境内に西金堂(さいこんどう)を建立し、翌天平6年(734年)に釈迦三尊像をはじめとする諸仏とともに八部衆・十大弟子像を造立させました。
当時の奈良社会は、相次ぐ政変や天然痘の猛威、飢饉など、目に見えない災厄と死の恐怖に晒されていました。光明皇后は、絶大な政治的影響力を持った母を失った喪失感を抱えながら、国家の安寧と一族の鎮魂という重責を一身に背負っていたのです。
阿修羅像が持つ三面六臂(3つの顔と6本の腕)の特徴は、異形でありながら破綻のない奇跡的な調和を保っています。通常、多面多臂の像は威圧感や怪物性を強調しがちですが、興福寺の阿修羅像はすらりとした華奢な体躯を持ち、異形の構造を優美なシルエットへと昇華させています。
母を想う私的な追善の念と、国家の平安を祈る公的な仏事。その交差点で生み出されたからこそ、阿修羅像には母性的な優しさと、張り詰めた祈りの気品が同居しているのです。