ネット掲示板やSNS上のプロレスコミュニティでは、藤原組時代のこうした過激な挑戦について、今なお多角的な議論が交わされています。
当時のプロレス界は、エンターテインメント路線を突き進むメジャー団体と、真剣勝負の競技性を追求するUWF系に二極化していました。その狭間に位置した「プロワレス藤原組」は、最も純粋に「強さ」を追い求めた結果、時に常軌を逸した企画へと突き進むことになりました。熊との対決はその象徴的な出来事であり、ファンからは「組長でなければあの巨大なヒグマの前に素手で立てない」「格闘技がエンタメ化する前の最後の狂気だった」と称賛される一方、「一歩間違えれば大惨事だった」という冷や汗ものの証言も残されています。
しかし、この時に藤原が見せた「どんな相手であってもまず関節技のセオリーを試す」という求道的な姿勢こそが、後の弟子たちによる総合格闘技(パンクラス等)の旗揚げへと繋がっていったのは歴史的な必然と言えます。