勝谷氏の原点は、徹底した「現場主義」にありました。兵庫県の名門・灘中学校・高等学校を経て早稲田大学第一文学部を卒業後、文藝春秋に入社。『週刊文春』のエース記者として、オウム真理教事件、フィリピン政変、さらには湾岸戦争の現地取材など、国内外の危険な最前線へ自ら飛び込みスクープを連発しました。
女子高生コンクリート詰め殺人事件の報道では、加害少年の実名報道に踏み切るなど、ジャーナリズムのタブーに果敢に切り込む姿勢で注目を集めました。独立後はフリージャーナリスト、コラムニスト、写真家、そして食通としての才能を開花させ、縦横無尽に活躍の場を広げていきました。
現場で自らカメラを構え、自らの足で稼いだ情報をもとに紡ぎ出される鋭利な文章は「勝谷節」と呼ばれ、多くの読者を熱狂させました。権力におもねらず、自らの美学と直感に従って言葉を放ち続けるスタイルは、この記者時代に培われたものです。