東映移籍後、30代後半を迎えていた菅原さんに訪れた最大の転機が、1973年公開の映画『仁義なき戦い』(深作欣二監督)の主役・広能昌三への抜擢でした。従来の東映任侠映画を牽引していた高倉健さんや鶴田浩二さんの演じる「耐え忍ぶ義理人情のヒーロー」とは異なり、菅原さんが演じたのは欲望と裏切りが渦巻く戦後社会を泥まみれで生き抜くリアルなやくざ像でした。
映画関係者の手記や当時のインタビューによると、深作監督は菅原さんが内に秘める「戦後知識人のニヒリズム」と「モデル出身ならではの研ぎ澄まされた身体性」の融合を高く評価していました。広島弁の怒号が飛び交うバイオレンス描写のなか、菅原さんが見せる一瞬の虚無的な表情は、日本中を熱狂させシリーズ累計で驚異的な配給収入を叩き出しました。
さらに1975年、盟友・愛川欽也さんの持ち込み企画から誕生した『トラック野郎・御意見無用』(鈴木則文監督)では、一転してド派手なデコトラを駆る熱血漢・一番星こと星桃次郎を怪演。全10作に及ぶ大ヒットシリーズとなり、正月・盆興行の定番として家族連れをも巻き込む社会現象へと発展します。「極道の実録」と「大衆喜劇」という対極の頂点を同時に極めた俳優は、日本映画史広しといえども菅原文太をおいて他にいません。