現役引退後の1978年、米田氏はプロ野球界の発展と社会貢献を目的に設立された日本プロ野球名球会の創設メンバーとして参画しました。通算200勝以上を達成した大投手として名球会の屋台骨を支え、2000年にはその偉大な功績が称えられ、野球殿堂入り(競技者表彰)を果たしています。
指導者としても手腕を発揮し、オリックス・ブレーブス/ブルーウェーブ、福岡ダイエーホークス、阪神タイガースなどで投手コーチを歴任。自身の経験に裏打ちされた下半身主導の投球フォーム指導や、投手のコンディショニング管理において数多くの後進を育て上げました。
なお、昭和の大投手たちの年俸推移は、1億円プレーヤーが当たり前となった現代とは大きく金銭感覚が異なります。米田氏の現役時代は、球界最高峰の待遇であっても年俸1000万円台から数千万円規模の時代でした。しかし、当時の物価水準や大卒初任給との比較、そして何より球団からの絶大な信頼とステータスを考慮すれば、名実ともに球界トップクラスの最高評価を受け続けていたことは間違いありません。