小池氏の人生を紐解く上で欠かせないのが、兵庫県芦屋市で過ごした少女時代と、単身中東へ渡った留学期です。小池百合子の生い立ち詳細を振り返ると、貿易商を営んでいた父・勇二郎氏は、エジプトをはじめとするアラブ諸国との石油ビジネスを展開し、政界進出を志して衆院選に出馬したこともある規格外の人物でした。母・恵美子氏もまたハイカラで自立心の強い女性であり、小池氏の進取の気性は家庭環境によって育まれました。
甲南女子中学校・高等学校を経て関西学院大学文学部に進学したものの、父の事業の失敗や「これからはアラブの時代が来る」という父の強い勧めもあり、1971年に大学を中退。19歳で単身エジプト・カイロへ渡ります。治安も衛生環境も日本とは比較にならない過酷な地で、アメリカン大学カイロ校でアラビア語を学んだ後、難関とされるカイロ大学文学部社会学科へ進学しました。
このカイロ大学留学時代において、小池氏は私生活で大きな転機を迎えています。現地で知り合った3歳年上の日本人留学生と恋に落ち、1974年、21歳の若さで結婚に踏み切りました。この事実は自著『振り向けばアラブ』(1978年刊)でも率直に記されていますが、夫のサウジアラビアへの就職転勤や将来のキャリア観のすれ違いから、結婚生活は約3年でピリオドを打ちました。ネット上で囁かれる「小池百合子の結婚や歴代夫の噂」の真相は、この留学時代の学生結婚1件のみであり、帰国後は独身を貫いています。
帰国直後の1978年には、日本テレビの特番でパレスチナ解放機構(PLO)の故・アラファト議長やリビアのカダフィ大佐といった国際政治の超大物への単独インタビューで通訳を務め、一躍脚光を浴びました。命の危険すら伴う中東情勢の最前線で培った交渉力と胆力こそが、後のキャスター人生、さらには政治家としての揺るぎない土台となったのです。