この非情とも言える徹底策を決断したのが、当時就任3年目、36歳だった明徳義塾の馬淵史郎監督でした。全国制覇を狙える強力な戦力を揃えながらも、甲子園前の練習試合で松井の桁外れの打棒を目の当たりにしていた馬淵監督は、「普通に勝負しては絶対に勝てない」と冷静に分析していました。
「高校生の中に一人だけプロの選手が混ざっているようなものだった。松井君に打たれて負けるのなら納得がいくが、勝つ可能性を1パーセントでも高めるのが監督の責任」――馬淵監督の思考は極めて論理的であり、徹底した勝利至上主義に基づいた冷徹な戦略でした。ルール上、敬遠は認められた正当なプレーであり、四球を出せば当然ながら相手に走者を許すリスクも背負います。そのリスクを計算に入れた上での、チームを勝利へ導くための最善手でした。
しかし、当時の世論はそれを許しませんでした。「教育の一環である高校野球で、勝つためなら何をしてもいいのか」「正々堂々と勝負しないのは卑怯だ」という道徳的な批判がメディアや有識者から噴出。勝負に徹したリアリズムと、純粋なぶつかり合いを期待する大衆のロマンティシズムが激しく衝突する形となったのです。