茨城県立八千代高等学校が閉校に至った決定的な背景には、2000年代以降に茨城県教育委員会が強力に推し進めた茨城県立高校再編計画が存在します。昭和後期から平成初頭にかけて急増した県内高校生人口は、平成中盤に入ると急激な右肩下がりを記録しました。県央・県南の都市部へ生徒が集中する一方で、郡部や農村地域に立地する学校では急速に定員割れが常態化していきました。
結城郡八千代町にある唯一の高校として開設された八千代高校も、その構造的な人口減少の波を直撃しました。交通アクセス面において、最寄り駅(下妻駅や古河駅など)から距離があり、自転車や町営バス、保護者の送迎に依存せざるを得ない地理的条件が、近隣の下妻市、古河市、筑西市などの主要駅前高校への生徒流出を加速させました。
県教委が策定した再編整備実施計画では、「1学年複數學級を維持できない小規模校の統合・再編」が基本方針として掲げられました。八千代高校は志願者数の回復を目指し、地域連携型の体験学習や習熟度別指導など独自の特色づくりを模索したものの、劇的な生徒数回復には至りませんでした。その結果、2011年(平成23年)度入学者をもって生徒募集停止が決定され、最後の学年が巣立った2013年3月、創立から約35年の歩みを終えることになりました。