ネットコミュニティやSNSで「走れメロス」のツッコミどころを調査すると、移動速度以外にもメロスの常軌を逸した行動パターンが数多く指摘されています。読者が抱く素朴な疑問や現場の生の声には、次のような意見が目立ちます。
「そもそもシラクサへ買い物に来ただけの羊飼いが、王宮に短剣を忍ばせて侵入した時点で浅はかすぎる」「結婚式で飲み食いして熟睡し、翌朝ぐずぐずして出発が遅れたのが諸悪の根源」「泉の水を飲んで復活したあと、全裸で疾走するのは完全に不審者」といった辛辣な指摘です。
しかし、文芸批評やテクスト論の視点から丹念に読み解くと、太宰治がメロスを意図的に「走らせない時間」を長く設けた理由が見えてきます。もしメロスが終始フルマラソン並みのトップスピードで走り続け、何事もなくシラクサに帰還していたら、この小説は単なる平坦な英雄譚で終わっていたはずです。
太宰が描きたかった核心は、肉体の疲労よりも「心の揺らぎ」です。豪雨で増水した濁流を前にして天を仰ぎ、山賊を倒したあとに全身の力が抜けて「私は信頼に報ゆるために走るのではない。ただ私自身の欺瞞を払拭するために走るのだ」と自問自答し、一度は地面に突っ伏して裏切りを肯定しかけるメロスの醜態。その葛藤の深さを演出するためにこそ、移動速度を極限まで落とす「停滞の時間」が必要不可欠だったのです。