五番街を語る上で欠かせないのが、その成り立ちにまつわる五番街歴史と由来です。マンハッタンが1811年のコミッショナーズ計画によって格子状に区画整理された際、単なる「5番目の南北縦断道路」として番号を振られたのが始まりでした。19世紀後半、アスター家やヴァンダービルト家をはじめとする新興富裕層が壮麗な大邸宅を構えたことで高級住宅街としての地位を確立し、20世紀初頭に高級百貨店や宝飾店が進出。住宅街から商業地へと華麗な脱皮を遂げた歴史を持っています。
ところで、日本人にとって「五番街」という言葉は、ニューヨーク以外にも不思議な親近感を持って響きます。その発端となったのが、1973年にリリースされたペドロ&カプリシャスの大ヒット曲です。五番街のマリーへ歌詞の意味については長年ネット上でも様々な解釈が語られてきましたが、作詞を手掛けた阿久悠氏の回想や手記によると、特定のモデル都市を厳密に指したものではなく、「異国情緒と哀愁を漂わせる架空の街角のメタファー」として描かれた世界観でした。しかし、この叙情的な名曲が日本人の深層心理に「五番街=ハイカラで少し切ない憧憬の街」という強烈な記号を植え付けた事実は間違いありません。
この文化的影響は、日本各地の街づくりや商業施設にも波及しています。例えば、長崎県佐世保市のウォーターフロントに位置する複合商業施設「させぼ五番街」は、港町の開放感と地域密着のショッピング動線を融合させた拠点として知られます。テナント構成やイベント情報を求める地元住民や観光客にとって、本家ニューヨークとは異なる「親しみやすい港町の五番街」として定着しています。
また、神奈川県の横浜駅西口に広がる「横浜西口五番街」は、終戦後の闇市や復興の熱気を受け継ぐ大衆酒場・歓楽街として独自の発展を遂げました。ネット上の評判では「昭和のノスタルジーが色濃く残るディープな飲み屋街」「若者や観光客にはやや雑多で好みが分かれる」といった声が多く見られ、ニューヨークの洗練された高級路線とは真逆の、人間味あふれるローカルカルチャーを形成しています。同じ「五番街」の名を冠しながらも、文脈によって全く異なる都市空間が存在する点は、旅行や情報収集において知っておくべき興味深い盲点です。