源仲章とは、そもそもどのようなキャリアを歩んだ人物だったのでしょうか。彼の出自は、清和源氏の血を引く摂津源氏の流れを汲み、代々朝廷の文官・学者として仕えた名門に属します。
仲章は学問に極めて秀でており、朝廷の高等教育機関の長である「大学頭(だいがくのかみ)」に就任。さらには従四位下・相模守などの要職を歴任しました。当代随一の知識人であった仲章に目を留めたのが、専制的な政治を志向していた後鳥羽上皇です。上皇の厚い信任を得た仲章は、側近中の側近として朝廷中枢で確固たる地位を築きました。
鎌倉に下向した仲章は、若き将軍・源実朝の学問指南役(政治・有職故実・和歌の師)として重用されます。実朝は仲章を通じて京都の高度な政治思想や王朝文化を吸収し、急速に朝廷への傾斜を強めていきました。
ここで注目すべきは、仲章が単なる「家庭教師」ではなく、後鳥羽上皇の意志を鎌倉に反映させ、同時に幕府内部の動向を上皇へ逐一報告する「情報特派員(二重エージェント)」の機能を果たしていた点です。幕府の専権化を進めたい北条義時ら御家人層にとって、実朝の側近として絶大な発言力を持つ仲章は、極めて目障りかつ危険な政治的ライバルでした。