栄誉と名誉の決定的な違い|なぜ国民栄誉賞なのか真相を徹底解説

栄誉と名誉の決定的な違い|なぜ国民栄誉賞なのか真相を徹底解説

栄誉と名誉の決定的な違い|なぜ国民栄誉賞なのか真相を徹底解説にまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。

日本で最も知名度の高い表彰制度でありながら、名称の選定意図があまり知られていないのが「国民栄誉賞」です。1977年(昭和52年)8月、当時の福田赳夫内閣において突如として構想され、同年8月30日の閣議決定によって正式に創設されました。第1号の受賞者は、読売巨人軍で通算本塁打世界新記録(756本)を樹立した王貞治氏です。

当時の首相官邸や内閣府の記録を追うと、なぜ「名誉賞」ではなく「栄誉賞」でなければならなかったのか、当時の制度的限界と政治判断の生々しい実態が浮き彫りになります。

当時、国家が功績ある人物を表彰する最高峰の仕組みは「叙勲・褒章制度」でした。しかし、当時の生存者叙勲は原則として満60歳以上という厳格な内規が存在し、現役バリバリの37歳であった王貞治氏に対して既存の叙勲を行うことは不可能でした。さらに、旧来の叙勲は「国家や公務に対する長年の功労」を対象とする色彩が濃く、スポーツや大衆文化における歴史的偉業をリアルタイムで顕彰する器としては機能していませんでした。

そこで政府は、内閣総理大臣顕彰規程に基づく新たな枠組みを急遽策定しました。その際、賞の名称案として「国民栄誉賞」が選定された最大の理由は、国民栄誉賞創設の趣旨に明確に記されています。それは「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者に対する栄誉」を讃えるという理念です。

もしこれが「国民名誉賞」であった場合、国家が特定の個人に社会的な地位や特権的ステータスを付与するようなニュアンスを帯びてしまいます。しかし、求められたのは身分の授与ではなく、世界記録という「燦然と輝く偉業の瞬間を、国民全体の歓喜とともに華やかに寿ぐ(ことほぐ)こと」でした。「栄えある功績に対する公のスポットライト」という意味において、「名誉」ではなく「栄誉」という語彙が必然として選ばれたのです。

佐藤 大輔
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佐藤 大輔

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