原敬が「何をした人」なのかを端的に言えば、日本で初めて本格的な政党政治を実現した首相である。1918年、米騒動で寺内正毅内閣が倒れた後を受けて組閣した原内閣は、初めて衆議院の第一党である立憲政友会を基盤とした政党内閣だった。
原敬内閣の政策で特筆すべきは、以下の3点に集約できる。
第一に、選挙制度の改革だ。それまで直接国税15円以上を納める者のみに与えられていた選挙権を、直接国税3円以上に大幅引き下げた。これにより有権者数は約150万人から約300万人へと倍増した。普通選挙にはまだ遠いとはいえ、「政治参加の裾野を広げる」という方向性を明確に打ち出した点は歴史的意義が大きい。
第二に、積極的な社会基盤整備だ。鉄道網の拡充、港湾整備、通信網の近代化など、いわゆる「積極政策」を推進した。単なる公共事業ではなく、地方の経済的自立を促す構造的な投資だった点が、後の評価を分けるポイントでもある。
第三に、外交の現実主義だ。原は外務官僚出身という経歴を活かし、対米協調を基調としつつ、中国大陸における日本の権益を現実的に確保する路線を取った。ワシントン会議に代表される国際協調の流れに対応しようとした姿勢は、軍部の拡張主義とは一線を画すものだった。
ただし、原敬を単なる「民主主義の闘士」として美化するのは正確ではない。普通選挙にはなお慎重で、社会主義運動には厳しい姿勢で臨んだ。治安警察法の運用を強化し、労働運動や学生運動を弾圧した側面もまた事実だ。この二面性こそが、原敬という政治家の複雑な実像である。