照實氏による音楽プロデュースの神髄は、彼女が幼少期の頃から本物のサウンドに触れさせる徹底した環境づくりにあった。ニューヨークと東京を往復する生活のなかで、当時まだ10代前半だった娘のソングライティング能力をいち早く察知。単なるポップソングの枠に収まらない、ディープな楽曲構成と叙情的な歌詞の世界観をそのまま伸ばす育成方針を貫いた。
彼が選んだのは、従来の日本の芸能界にありがちなタレント主導のプロモーションではなく、徹底した「楽曲主義」だった。メディアへの露出を最小限に抑え、ラジオや音源そのもののクオリティで勝負させる戦略は、大衆の好奇心を刺激し、圧倒的なカリスマ性を生み出すことに成功する。クリエイターの自主性を極限まで尊重しつつ、商業的な成功へと導くプロデュース手腕は、まさに前例のない偉業であった。