天平勝宝4年(752年)4月9日、東大寺大仏殿の前には1万人を超える参列者が詰めかけていた。鳴り響く雅楽、舞い踊る異国の楽舞、立ち上る香煙。その中心で巨大な盧舎那仏の目に筆を入れたのは、日本人僧侶ではなく、漆黒の瞳を持つインド出身の高僧・菩提僊那であった。
当時の日本は疫病や政変の嵐が吹き荒れ、社会は極限まで疲弊していた。国威発揚と怨霊鎮魂、そして国家の安寧を願う聖武天皇にとって、大仏造立は国家の命運を賭けた巨大プロジェクトだった。そこに求めたのは、単なる国内の宗教儀礼ではなく「仏教の本場・インドの正統性」そのものだった。聖武天皇は、長安を経由して日本へたどり着いた菩提僊那の圧倒的なカリスマと学識に、国家の未来を重ね合わせたのである。