鵬翔高校サッカー部の歩みは、常に逆境への挑戦の歴史でした。昭和58年(1983年)の創部当初は照明設備すらなく、指導陣や関係者が自家用車のヘッドライトでグラウンドを照らしながらボールを追ったという逸話は、同部の不屈のフロンティア精神を象徴しています。「目指せ日本一!全国制覇!」を合言葉に掲げ、技術と粘り強さを磨き上げた同校は、2012年度の第91回全国高校サッカー選手権大会において、大雪による首都圏の順延という異例の事態を乗り越えて決勝へ進出。京都橘との死闘をPK戦の末に制し、宮崎県勢初となる冬の選手権制覇を成し遂げました。
だが、歓喜の頂点を極めた直後から、高校サッカーを取り巻く環境は激変します。全国制覇の立役者となった名将・松崎博美監督(当時)のもとで完成された「選手の自主的判断を重んじるテクニカルなサッカー」は全国の指導者から研究され、マークが厳しさを増しました。さらに宮崎県内では、豊富な資金力と全国規模のスカウティングネットワークを誇る日章学園や、急速に強化を進めた宮崎日大高校が台頭。県予選の決勝・準決勝で涙をのむシーズンが続き、全国選手権の檜舞台から遠ざかる事態に陥りました。
低迷の背景には、単なる戦力低下にとどまらない高校サッカー全体のパラダイムシフトが存在していました。2010年代半ば以降、Jリーグ下部組織(ユース)の充実や、強豪私学による全国からの特待生囲い込みが激化。地方の一般私立校である鵬翔高校は、スカウティングの地理的ハンデと全国制覇に伴う重圧という二重苦に直面することとなったのです。