太平洋戦争下の日本軍の食事事情|銀シャリから飢餓の戦場まで

太平洋戦争下の日本軍の食事事情|銀シャリから飢餓の戦場まで

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昭和初期から戦時にかけ、太平洋戦争における兵士の主食は基本的に米と麦でした。陸軍の給与規則によると、兵士1人あたりの日本軍の糧食支給量は、主食として精白米6合(約900グラム)に麦を加えたものが基準とされ、平時演習時や戦時定数では総カロリー約3,000〜3,500kcal超が想定されていました。当時の農村部や都市下層階級の食生活から見れば、毎日腹一杯に白米が食べられる軍隊の食事は極めて魅力的であり、「軍隊に行けば銀シャリが食える」という動機で入隊した青年も少なくありませんでした。

当時の陸軍給食献立表を紐解くと、朝食は麦飯と味噌汁、漬物、昼食や夕食には魚の煮付けや肉野菜炒め、煮染めといった副食が計画されていました。しかし、この手厚い基準はあくまで「本国からの補給船が無事に届き、野戦炊事班が機能している」という前提の上に成り立つ絵に描いた餅でした。戦線が東南アジアや太平洋の島々へ拡大するにつれ、前線基地への海上輸送船は米軍潜水艦によって次々と撃沈され、兵士の手元に届く糧食は激減していきました。

項目戦時規定・初期の実態前線末期の実態(激戦地)編集部の見解・分析主食供給量精米・押麦計6合(約800〜900g)1合以下〜完全枯渇(野草・残渣)規定値は極めて優秀だが、前線輸送手段が壊滅し数値が形骸化。摂取カロリー約3,000〜3,800kcal/日500〜1,000kcal/日未満(飢餓水準)過酷な行軍と戦闘に対し、基礎代謝すら下回る飢餓状態で戦闘を強要。主要な携行食乾パン、牛肉大和煮缶詰、粉末味噌乾パン数粒の配給、ヤシの新芽、蛇・蜥蜴缶詰や加工食料の製造技術はあったが、現場への末端輸送で完全に途絶。調理環境九七式炊事自動車、野戦釜による炊飯煙を上げられず夜間の生米齧り、飯盒炊爨不可制空権の喪失により、煙を出す炊事は敵の爆撃を招くため不可能となった。
高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。