伊野尾慧の学業への高い適性は、大学入学以前の高校時代にすでに確立されていました。彼の出身高校は、東京都文京区に所在する東洋大学京北高等学校(旧・京北高等学校)です。
彼が在籍していた当時の京北高校は男子校であり、進学指導に注力する伝統校でした。当時の偏差値はおよそ58〜60前後とされ、伊野尾慧はその中でも学力上位層が集まる特進系・理数系のクラスに身を置いていたと伝えられています。芸能活動が本格化していたにもかかわらず、日出高校(現・目黒日本大学高校)や堀越高校といった芸能コースを持つ学校へは進まず、あえて一般の進学校で机を並べる道を選びました。
明治大学への進学に際しては、いわゆる「芸能人優遇の裏口入学」といったネット上の邪推を完全に否定するプロセスを経ています。彼が利用したのは、明治大学理工学部が実施していた公募制の特別入試(自己推薦選抜)でした。この入試制度は、高等学校における高い評定平均値(学業成績)を前提とし、志望理由書、建築分野への関心と適性を示す課題提出、さらには面接官による厳密な口頭試問や小論文を課すものであり、確かな学力と明確な志望動機がなければ突破できません。
「建築が幼少期から好きだった」「自分の手で人が集まる空間や劇場をデザインしてみたい」という明確なビジョンを論理的に提示できたからこそ、教授陣の厳しい審査を通過し、正規の合格通知を勝ち取ることができたのです。