ドクター中松氏を巡る議論で最も熱を帯びるのが、「フロッピーディスクの発明者である」という主張の信憑性です。一般のコンピューター史において、フロッピーディスクは1960年代後半から1970年代初頭にかけ、米IBM社のアラン・シュガート氏を中心とするエンジニアチームがメインフレームのマイクロコード読み込み用(8インチ型)として開発したと記録されています。
では、なぜ中松氏は自身を発明者と語り、それが世界中で報じられたのでしょうか。特許記録と当時の報道を検証すると、驚くべき法的な駆け引きが浮かび上がります。
中松氏は東京大学工学部在学中の1950年、SPレコードのノイズ解消を目的として紙製の円盤に磁気記録を行う「積層シート磁気記録媒体」(発明の名称:音響伝達シート)を考案し、特許出願(特公昭33-25498)を行っていました。この出願は、IBMがフロッピーディスクを発表する20年以上前の出来事です。
1970年代後半、IBMが日本市場へフロッピーディスクを大々的に投入しようとした際、同社の法務部門は日本国内における磁気シート関連特許を総ざらいしました。その過程で、中松氏が保有していた先駆的な特許群が抵触するリスクを認識したとされています。特許訴訟による販売遅延を恐れた米IBMは、中松氏との間で一連の関連特許に関する非独占的なライセンス(包括的クロスライセンス)契約を締結しました。
つまり、「IBMが中松氏の設計図をそのまま買ってフロッピーディスクを作った」わけではありません。しかし、「中松氏の基本特許に抵触する懸念をクリアしなければ、IBMは日本国内で製品を円滑に展開できなかった」のは揺るぎない事実です。この契約関係を「IBMが認めた発明者」と言い換えた中松氏のレトリックは、知的財産を巡る極めて高度なポジショニング戦略だったと言えます。
また、もう一つの疑問である「特許数3000件超」という数字にも精査が必要です。特許情報プラットフォーム(J-PlatPat)で「中松義郎」名義を照会すると、日本国内で公開・公告された特許および実用新案登録の件数は数百件規模にとどまります。では残りの数字はどこから来たのでしょうか。
関係者の証言や海外特許庁のデータを総合すると、中松氏は「日本国内の出願」「米国をはじめとする世界各国への重複出願」「意匠登録」「商標登録」、さらには「権利化に至らなかった出願書類」までを累計してカウントしています。厳密な「有効存続特許件数」としては誇張が含まれるものの、生涯にわたって夥しい数のアイデア書類を各国特許庁に提出し続けたエネルギーそのものは、世界的な発明家エジソンに匹敵する狂気的な量であったことは間違いありません。