1947年5月3日の日本国憲法施行に伴い、第14条「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」の条文によって、全国約1,011家存在した華族は法的な特権を一朝にして剥奪されました。しかし、それ以上に一族を揺るがしたのは、GHQの主導によって導入された過酷な税制改革です。
1946年11月に公布された「財産税法」は、戦後のハイパーインフレ下において個人純資産1,500万円(当時)を超える部分に対して最高税率90%を課すという、前代未聞の収奪的な課税措置でした。これに加えて農地改革による地方領地の強制買収が追い打ちをかけ、多くの名家が瞬く間に困窮へと追い込まれました。
当時、旧公爵家や大名家当主の自伝や手記には、凄絶な内情が克明に綴られています。「先祖伝来の刀剣や屏風、着物まで古美術商に二束三文で買い叩かれた」「庭の樹木や庭石を切り売りしてその日暮らしの糊口をしのいだ」といった記録は、決して誇張ではありません。旧盛岡藩主の南部家や旧水戸徳川家ですら、広大な本邸の維持が不可能となり、土地の物納や売却を余儀なくされたのです。
では、なぜその壊滅的な資産喪失を免れ、現代に至るまで莫大な富を維持できた一族が存在するのでしょうか。その分水嶺となったのは、「先祖伝来の現物を死守しようとしたか」あるいは「迅速に資本を法人化・金融化へ再編したか」という冷徹な経営判断の違いでした。