柳川組の強さを決定づけたのが、1960年に大阪で起きた明友会事件です。山口組系組員と新興勢力・明友会とのトラブルに端を発したこの抗争において、柳川組は先鋒部隊としてわずか数日で敵対組織を壊滅状態へと追い込みました。この事件を機に、柳川組の名は全国の裏社会に轟くことになります。
その後、山口組の全国進出(いわゆる「全国制覇」)において、柳川組は常に最前線に投入されました。北九州、北海道、中京、北陸など、既存の有力組織がひしめく激戦区へ次々に進出。その進撃スピードと統率された突撃力は、警察庁や他組織から「柳川軍団」と呼ばれ、恐れられました。
柳川組の強さの秘密は、徹底した組織規律と実力主義にありました。柳川自身が残した「一度盃を交わした以上は命を捨てる」「理屈ではなく行動で示せ」という名言に象徴されるように、組織内での上下関係と信義を何よりも重んじたのです。これらの伝説的なエピソードは、後に映画『実録・柳川組 殺しの軍団』をはじめとする数多くの映像作品や実録小説のモデルとなり、現代のポップカルチャーにも多大な影響を与えています。