江戸時代の食べ物は質素か?白米爆食と屋台が生んだ食文化の深層

江戸時代の食べ物は質素か?白米爆食と屋台が生んだ食文化の深層

江戸時代の食べ物は質素か?白米爆食と屋台が生んだ食文化の深層に関する質問を丁寧にまとめました。専門的な情報をご覧ください。

Q1:江戸時代の庶民は肉を全く食べていなかったのですか?
A1:仏教の戒律や幕府の禁令により表向きは肉食が禁止されていましたが、実際には「薬喰い(くすりぐい)」と称して日常的に食されていました。江戸市中には「ももんじ屋」と呼ばれる獣肉専門店が存在し、猪肉を「山鯨(やまくじら)」、鹿肉を「紅葉(もみじ)」、馬肉を「桜(さくら)」と隠語で呼び、滋養強壮の薬として鍋仕立てで堂々と食べられていました。

Q2:なぜ江戸では蕎麦が流行し、大坂(上方)ではうどんが好まれたのですか?
A2:土壌と水質、そして好まれた出汁の違いが最大の理由です。関東の火山灰土(関東ローム層)は蕎麦の栽培に適しており、硬水に近い関東の水は昆布の出汁が出にくいため、鰹節と濃口醤油を使った濃厚な蕎麦つゆが発達しました。一方、肥沃な平野が広がる関西は良質な小麦の産地であり、軟水で抽出する昆布出汁と薄口醤油の上品なスープがうどんの美味しさを最大限に引き出したため、東西で決定的な嗜好の分岐が生まれました。

Q3:江戸時代の寿司屋台には、なぜ「のれん」が必ず掛けられていたのですか?
A3:暖簾(のれん)は単なる日よけや看板ではなく、「食べた客が指の油や酢を拭いて帰るためのタオル代わり」として使われていました。当時は箸を使わず手づかみで寿司を食べていたため、食べ終えた客は店の暖簾で手を拭いて立ち去るのが江戸の流儀でした。「暖簾が黒く汚れている店ほど客が多く繁盛している証拠」とされ、客は暖簾の汚れ具合を見て店の味を判断していました。

佐々木 一輝
著者

佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。