朝鮮王の土下座「三田渡の屈辱」とは?清への降伏儀式と歴史の真相

朝鮮王の土下座「三田渡の屈辱」とは?清への降伏儀式と歴史の真相

朝鮮王の土下座「三田渡の屈辱」とは?清への降伏儀式と歴史の真相に関する疑問を詳しくまとめました。最新データをご覧ください。

ホンタイジは自身の勝利と清の威光を後世に誇示するため、降伏の地である三田渡に記念碑の建立を命じました。これが大清皇帝功徳碑、通称三田渡の碑です。

碑文は満洲語、モンゴル語、漢文の3つの言語で刻まれており、清の皇帝が朝鮮の無礼を寛大にも許し、恩徳を施したという内容が記されています。朝鮮側にとっては自国の屈辱を石に刻まされた象徴であり、まさに恥辱のモニュメントでした。

この碑はその後、波乱の運命をたどります。1895年の日清戦争で清が敗北し下関条約で朝鮮の独立が認められると、漢江に投げ捨てられて埋められました。しかし1910年の日韓併合後に再び掘り起こされ、戦後も市民感情から地下に埋没されたり、ペンキで落書きされたりと受難が続きました。現在はソウル市内のロッテワールド近くにある松坡洞の児童公園内に移設され、歴史の教訓を伝える文化財として静かに保存されています。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。